三島村の硫黄島に移住し起業した大岩根さん
薩摩半島の南方およそ40kmに鹿児島県で最も小さな自治体がある。硫黄島・黒島・竹島という3つの島と、複数の岩礁で構成されている。人口は3島あわせて400人弱、町の名前は三島村だ。
硫黄島の変色海水。流れ出続ける温泉水によって島の周囲の海水の色や模様が絶えず変化する。 交通手段は鹿児島市内から週4便、運航している「フェリーみしま」で、3~5時間ほどで行ける。
鹿児島市内と三島村の位置関係(提供:三島村役場) 7300年前の鬼界カルデラ大噴火の痕跡や手つかずの自然が残されており「日本の秘境100選」に選ばれている。
黒島の赤鼻。縄文時代からの遺跡が点在する中から美しい朝日を望める。 竹島の籠港。カルデラの縁にあたる絶壁の下に美しい浜が広がる。 その三島村が、一昨年に「日本ジオパーク」に認定された。
ジオパークとは、「地球・大地(ジオ:Geo)」と「公園(パーク:Park)」とを組み合わせた言葉で、「大地の公園」を意味し、地球(ジオ)を学び、丸ごと楽しむことができる場所、のことである。(『日本ジオパークネットワーク』より引用)
ジオパーク認定後、ツアーの企画や移住促進活動や特産品の宣伝イベントなど、村全体が以前に増して活気づいている。
その中心にいるのが、地質学者の大岩根さんである。
周囲から「ハカセ」と呼ばれている。
フェリーみしまの上にて、笑顔のハカセ。 ハカセのことを簡単に紹介する。1982年生まれ、宮崎県出身。大学で地質学、海洋地質学を学び、2010年に東京大学大学院で環境学の博士号を取得。卒業後は国立極地研究所に勤務し、第53次日本南極地域観測隊として南極内陸部の地質調査に参加していた。
南極で観測隊員として活動していた時のハカセ。 ハカセにとって南極での生活は壮絶な体験だったそうだ。
「底知れぬ自然の力を前に、自分は人間である前に生物だと感じた。南極では生きられない人間の弱さ。生きていることの奇跡。深く実感として刻み込まれた」とハカセは言う。
南極から日本へ戻り、国立極地研究所で研究者として勤めている時に、大学時代の恩師から三島村の話が舞い込み、ジオパークの専門スタッフとして三島村役場に勤めることとなった。
「ここへ初めて来た時、露天風呂から綺麗な満月を見ました。その光景は、まるで島全体が自分を歓迎してくれているかのように感じた」と言う。
まさにその時の写真。 当初、島民たちのジオパークに対する意識はほとんど無かったと振り返る。
「知らないから当然。まずは自分が学んで、それを周囲に伝えて人を巻き込んでいく。できない事なんて無い」
ジオパークを案内中のハカセ。まずは知ってもらう事からスタート。 ハカセの着任から2年と経たないうちに、三島村は「世界一小さなジオパーク」となった。
ジオパークに認定されたことにより、三島村の認知度は高くなった。それと同時に、島の活気が上がってきていると言う。
さまざまな分野の研究者と連携しながら共同研究を行う一方で、シーカヤックで島の海岸を巡ったり、友人の花火師らと共に硫黄島の硫黄で花火をつくったり、学生向けに島を案内しながら専門的な学びの場も提供している。また、特産品の大名筍のPRもしたり、新しい動きをどんどん始めている。
三島村の特産品の大名筍は、「筍の王様」とも呼ばれている。(提供:三島村役場) 東京で大名筍のPRをするハカセ。 先日、ハカセより、突然の報告があった。
「三島村役場を辞めました!硫黄島で起業します!一生をかけてする仕事を自分で創ります!おもしろいオッサンになります!」
とのことだ。笑
豊かな自然あふれる三島村だが、まだまだ未開拓の地。自身が研究者だからこそできる、学術に裏付けられた知識や他では味わえない体験を提供すると言う。ハカセの益々の活躍が楽しみだ。
硫黄島をバックにシーカヤック中のハカセ。 写真提供:大岩根 尚(ハカセ)